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川島みどり かわしま みどり 1931年生まれ。1951年日本赤十字女子専門学校卒業。「武谷三男・川上武」の系譜の人。看護の本質を語れる人。『実践的看護マニュアル』は必読の書。「手当学」を提唱、臨床実験、学問、教育、教養を備える生涯現役ナース。 |
柏木哲夫 かしわぎ てつお 1939年、淡路生まれ。淀川キリスト教病院名誉ホスピス長。元大阪大学教授、日本に緩和ケア、緩和ケア病棟が広がる原動力となった。精神科医であり、川柳を作るユーモア医師である。「情をもって話そう」と医療者に呼びかける。金城学院大学学長。 |
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石垣靖子 いしがき やすこ 1938年生まれ。樺太生まれ。北海道大学付属看護学校卒業、東札幌病院副院長も経験。ホスピスケアの臨床に立ちながら、生と死を描く文学の言葉をも大切に受け止める。日本に緩和ケアが広がる努力を惜しまない理性の人。 |
末永和之 すえなが かずゆき 1947年生まれ。1979年より34年間綜合病院山口赤十字病院にて内科、緩和ケア 科に勤務。2013年すえなが内科在宅診療所開設。在宅看取りを実践。誠実で温 厚な人柄が定評。著書に「いのちの響き−ホスピスの春夏秋冬」など。 |
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秋山正子 あきやま まさこ 1950年、秋田生まれ。1973年聖路加看護大学卒。92年から白十字訪問看護ステーション所長、訪問看護の日々を送る。「暮らしの保健室」を団地の空き店舗を 利用して開設「在宅ケアの不思議な力」などがある。在宅看護の原動力の人。 |
長 純一 おさ じゅんいち 1966年生まれ。農村医療の先駆者、故・若月俊一同病院院長の「最後の弟子」の1人。訪問診療も行う365日24時間の地域医療を構築。現在、石巻市立病院開成仮診療所長。医療、介護、福祉、行政、大学等の大連携を考えている。 |
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勝部麗子 かつべ れいこ 1987年豊中市社会福祉協議会に入職。 平成16年度、地域福祉計画の策定後、コミュニティソーシャルワーカーとして制度の狭間の問題に取り組み大活躍中。プロフェッショナル仕事の流儀で「地域の絆で、“無縁”を包む人」として紹介される。 |
桜井 隆 さくらい たかし 1956年生まれ。1992年さくらいクリニック開院。 宝塚歌劇団主治医、「阪神ホームホスピスを考える会」、「おかえりなさいプロ ジェクト」代表。著書に「大往生なんか、せんでもええやん!」他。おかえりなさ いプロジェクトの作った「あなたの家にかえろう」は全国的に支持広げた。 |
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児玉久仁子 こだま くにこ 1999年東京慈恵会医科大学卒業。外科病棟に勤務し終末期看護に関心を持つ。2004年より緩和ケア病棟に勤務。東京慈恵会医科大学附属病院家族支援専門看護師。「緩和ケア」誌に「家族ケアのツボ」を好評連載中。 |
村瀬孝生 むらせ たかお 1964年生まれ。1996年から「第2宅老所よりあい」所長。「よりあい」代表。映画と音楽が好きでブルーパーツのファン。支援する人たちど老人ホームではない老人ホーム」(特養)を建設中。いつも新しい。 著書に「おばあちゃんが、ぼけた。」他。 |
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斎藤ネコ さいとう ねこ 1959年生まれ。東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。数多くのCM音楽や、アーティストの作曲、編曲、アルバムプロデュースなどを手がける。おじいさんになっても子供でいられるような人生を目指し、飲酒鑑賞に適した音作りを心がけている。 |
伊勢真一 いせ しんいち 1949生まれ。大学卒業後、大工などを経験した後、映像の世界に入る。 90年代初めよりドキュメンタリー作家として精力的な創作活動を展開。 主な作品に「風のかたち」。「えんとこ」「大丈夫。」「妻の病」。実直な人。 |
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